■「たかが学校に行けないだけで死ぬことはない」が活動の原点
―不登校児が増え続けている原因は何でしょうか
西野:今の学校教育の状況が制度疲労だということです。この制度というのは、150年前に明治政府が作り出したものです。ですから、今の子どもたちの興味・関心に合っていない。上から教えこむ教育で、効率よく国民の教育水準を上げるために、6歳になったら同じ教室に入って、同じ教科書を使って、全国一斉に同じ内容を学ばせる仕組みです。
年間に30万人もの不登校児を生み出し、中学生の17人に1人が不登校になる時代を迎えたということは、そもそもこの学校教育が制度疲労を起していると考えた方がわかりやすいのです。子どもたちの学校離れというのは、学びたいことを学びたいときに学びたいように学ばせてよということなんです。
―ところで、活動の原点はなんでしょうか
西野:「たかが学校に行けないだけで死ぬことはない」というのが、この認定NPO法人フリースペース「たまりば」を始めた33年前の原点でした。学校に行かなくても育つことはできるし、学ぶこともできるし、ちゃんと大人にもなれるよと、多摩川のほとりのアパートの一室を借りて始めたわけです。
―子どものストレスは親の過干渉が大きいとか
西野:子どもが一人か二人しかいないと、子どもを見すぎる時代になってしまいました。いちいちわが子を他の子と比べて、いろいろ気になってしまうわけです。だから、子どもに余計なことをいっぱい言ってしまう。それで、子どもが疲れ果ててしまい、親子関係もうまくいかなくなっているのです。
メンタルな調子を崩す子どもが増えたり、不登校やひきこもったりする子が増え、人と関わることが不安になっている。親も孤立しています。地域社会が分断され、核家族化がさらに進み、地縁、血縁が薄まり、孤立した親たちによる子育てで、「助けて」が言いづらい世に中になっています。
親の過干渉で子どもは疲れ果てる
※写真はイメージです
■親が唯一できることは「居心地のいい家をつくること」
―一方で、不登校の子どもたちも本当は学校に行きたいんだそうですね
西野:かつて不登校をした子どもたちに過去を振り返ってもらうと、どうやら学校に行けない理由というのが、自分でも分からないというケースが圧倒的に多い。それと同時に、「本当は学校が安全で安心して楽しく学べる場であれば、俺だって学校に行きたかったよ」と話してくれます。
今、いじめのピークは、小学2年生です。第2位が小3、第3位が小1です。つまり、小学1~3年でいじめがピークを迎えるような日本社会になっているから、不登校が減るわけがない。
だから、先生方には「不登校児はみんな学校が嫌いなんだ」みたいな思い込みを一度外してくださいという話をしています。本当は学校に行きたくても、そこが安全じゃない、安心できない、楽しくないから行けなくて困っている子たちなんです。
―どうすれば親が子どもに対して暴言を吐かないように出来るのでしょうか
西野:親は「普通に学校に行って、勉強して、友達と遊んで大人になっていく」という生き方しか知らないわけです。それで、子どもが学校に行けなくなったとたんに不安になって暴言を吐く。このままひきこもって、外に出られなくなってしまうのではないかと心配する。選択肢が見えないから不安なんです。
しかし、学校に行かない子どもたちがこれほど増えてきて、「教育機会確保法」という法律もできて、学校以外にも学び、育つ場づくりが国にも自治体にも求められる時代になってきました。すこしずつ社会は変わらざるを得ないのです。
そこで通信制サポート校などが増え、小中学校に行かなくても、高校に入れる子たちが増えてきた。高卒程度認定試験を受けて、大学にも行き、社会で働いている人たちが、どんどん出てくる時代になりつつあります。
ですから、親が「お前は学校が合わないか。それじゃ、しょうがないね。だったら別の手を考えよう」と思えるように、親も少し余裕を持てるようになれるといいですね。
―親が唯一できることは「居心地のいい家をつくること」だそうですね
西野:子どもにとって安心して楽しくいられる家庭があれば、悪くなりようがありません。本当はシンプルなんです。「生まれてきてくれてありがとう。お前が生きていてくれるだけで幸せだよ」と、存在を丸ごと肯定するようなまなざしで子どもを包んであげれば、子どもはちゃんと育ちます。
■「フリースペースえん」は子どもたちの居場所
―運営されている「フリースペースえん」について教えていただけますか
西野:「生きているだけですごいんだよ」というのが、僕らの基本理念ですから、そのための居場所づくりです。自分の力でこの社会で生きていけるように、出過ぎた支援をしない。
僕らスタッフがなんでも仕切ったら、自分で何とかするということを覚えず、周りの子たちも「ああ、あの子はスタッフが助けてくれるんでしょ」ということになり、自分たちが助けてあげようということになりません。
同じコミュニティの中で、一緒に生きていくには、そこにスタッフがいようがいまいが、「〇〇ちゃんも同じコミュニティの仲間だよね」という文化をつくっていかなければなりません。その子が困っていたら助けてあげるというコミュニティをつくっていくことが求められています。逆に安心して「助けて」が言える社会、適度に他者に依存できる関係作りも大事ですね。
フリースペースえんでは、子どもたちが思い思いに遊ぶ
―遊び場である「川崎市子ども夢パーク」は原則、禁止事項がないそうですね
西野:私たちが子どもの権利条例を基に、「川崎市子ども夢パーク」をつくるときに大切にしたかったのは、原則、禁止の看板を持たないことでした。だから、私たちは木登りもできる、ボールも使える、工具やのこぎり、トンカチだって使える、たき火もできる、とにかく子どもがやってみたいと思うことに挑戦できる場を取り戻したかったのです。
自分で考えて、自分でチャレンジして、自分で危険を予知して、危険を回避する力…生きていく力というのは、失敗することで子どもは育つんだという考え方を手に入れないと、子どもは育ちません。少々のケガをするかもしれませんが、それが結果的に長い将来に向かって、自分を守れる力になります。
「川崎市子ども夢パーク」ではたき火もOK
■安全で安心して楽しいと思える学校をつくる
―一方で、「ブリュッケ」という就労・生活自立支援の場も運営していますね
西野:正式名称は川崎若者就労・生活自立支援センター「ブリュッケ」になります。まずは、子どもたちの居場所をつくる。「たまりば」の文化というのは、毎日、一緒にお昼ご飯をつくって食べることで、ブリュッケでも継承されています。
そして「自分の好き」をいっぱい語れる場をつくり、いろんな人と出会ってもらう。おすすめのカフェがあったらみんなで行ってみたりもします。
その結果、自信がついてきたら、最初はボランティア体験として、僕らが運営しているコミュニティスペース「えんくる」のフードパントリー(食品の配給)や「こども☆きっさ」の有償ボランティアに行ってみたりしています。
そうすると、「こんなことをしたら、おカネがもらえるんだ。だったらアルバイトをしてみようかな」と有償ボランティアをきっかけに就労して、生活保護から抜け出たりしています。
「ブリュッケ」にも様々な居場所がある
―そのコミュニティスペース「えんくる」はどういう場ですか
西野:もともとはフードパントリーがメインの活動です。コロナ禍の時代に食料が手に入らない人たちに食材を配っていました。食材がどんどん入ってくるので、せっかくだから、こども食堂もやろうかということになったのです。
目玉としては、先ほど言った「こども☆きっさ」で、放課後、月・水・金の午後2時半から5時半の間に来た子どもたちはジュース一杯無料、お菓子一個タダというものです。
―他にも事業はありますか
西野:「よつばの会」では、月・木の週2回の午後・夜間、高津区の生活保護家庭とひとり親家庭の小中学生の無料学習会をしています。それから、市内3カ所にある児童相談所で子どもと大学生をマッチングさせる「ふれあい心の友」という事業も運営しています。
―今後の抱負を教えてください
西野:安全で安心して楽しいと思える学校をつくらないとダメだなと思っています。ですから、これからの公教育のモデルになるような学校をつくりたいんです。それを今、川崎市教育委員会と本気で話し合うことができたらいいなと思っています。
まずはきっかけとして、「学びの多様化学校」という文部科学省が言っている指導要領を柔軟に解釈した公立学校、不登校児でもここなら通えるといった学校を公教育のモデルとしてつくるのが、僕の残された人生で一歩でも前に進めたいことですね。
―読者へのメッセージをお願いします
西野:不登校の子どもへのメッセージであれば、学校に行けないだけで死んじゃいけないよ、まずは、お家の中で、ゆっくり休む、自分が好きだ、やってみたいことを大事にした方がいいよと言いたいですね。
幅広く、すべての読者の方にメッセージするならば、まずは大人が幸せになりましょう、子どもが早くあんな大人になりたいとおもってもらえるように、大人である私たち自身が幸せでいることです。そして、そんな大人たち、子どもたちが対等に、一緒になって、この社会を作っていきたいですね。
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。