■開発側から住民側に立場を変えることを決意したプロジェクト
―学生時代は環境問題に取り組まれていたそうですね
大城:進学した長崎大学では国公立で初めての環境科学部という学部が生まれて、その1期生として入学しました。当時、日本全国の大学に多くの環境サークルが生まれ、全国に広がる環境系ネットワークがいくつも結成され情報交換を始めたころでした。私が立ち上げたサークルもそれに加盟して、情報交換に熱中しました。京都や大阪、東京の交流会に積極的に参加して、ある団体の代表理事にもなりました。
一方で、長崎県では諫早湾の干拓事業が問題になっていたのですが、この干拓事業では、政府としては良かれと思って着手した大規模な開発が、自然環境を崩していく、生活環境、文化環境も崩していくわけです。それをどのプロセスで止めることができたのかにずっと興味を持っていました。

長崎県諫早湾の干拓事業
―大学を卒業して、開発側の大手設計事務所に入社されたのはどうしてですか
大城:卒業後は大学時代に関わり始めた環境系ネットワークの事務局をやるために上京しました。その頃、大手設計事務所で環境アセスメント(環境に悪影響を与えないため、より環境保全の観点から望ましい事業計画を作る制度)の事業評価書をつくる仕事の募集が出ているのをみて応募しました。
最初はアルバイトとして入社し、その後正社員になりました。開発のプロセスの中で、どこで環境に悪影響を与える開発を止めることができるのかを知りたかったのです。
―あるプロジェクトで衝撃を受けて開発する側から使用する側に立場を変えられたとか
大城:都市開発は、鳥の目線というか俯瞰して物事を考えていくので、地域の方々のニーズを丁寧に考えるという機会がないことが多かったのですが、そのプロジェクトでは、そのまちが好きでずっと住んでいる人たちに、この開発を受け入れ、喜んでもらえるように大真面目に考えようとするプロジェクトでした。
開発側が「こんな建築物を建てようと考えていますが、どう思いますか」と聞く態度に変わった感じがして、「これはすごい変化だな」と思いました。こういった開発をしようとするとき、単なる「反対派」ではなく、本当にこのまちを好きで、将来のこのまちを考えて動いている住民がいないとよい開発は進まないということを思い知るプロジェクトになりました。
子育て中にもなっていて、会社で仕事をする時間が取りづらくなっていた頃で、これからの自分を考えていく中で、開発側の考えがわかりながら、住民側としての話も語ることのできる人に、私ならなれるのではないかという想いをもつようになり、思い切って会社を辞めることにしました。

都市開発は鳥の目線で俯瞰して進められることが多かったが、変化してきた
■「わたしのためにある!」と思った「こどものまち」に出会う
―一方で第一子をご出産後に「プレイセンターかんがる~」に参加されましたね
大城:大学時代に熱中した環境活動は、考えてみればいわゆる「おとな」に口出しされることなく、自分たちのことを話し合いで物事を決め、進めていく活動でした。子育ての時も、指導者的な人に教わるというよりは、お母さんはお母さん同士で情報交換をし、子どもは子ども同士で育ちあうみたいな場があったらいいなと思っていました。プレイセンターは、そういう仕組みだったんです。
―その後、森のようちえん型保育園の運営にも関わられましたね
大城:プレイセンター協会の勉強会で出会った方が、森のようちえん型保育園を運営していたのです。この保育園は、子どもの安全な環境づくりはおとながやるのですが、そこで何を習得するかは子ども次第で、子どもが自分で生きる力を身に着ける、コミュニケーション方法を会得していくみたいな保育スタイルです。これもとても面白そうだなと思い、運営にも携わりました。
―「こどものまちミニカワサキ」を作ろうと思ったのはなぜですか
大城:「森のようちえん」の運営をしている中で知り合った方に紹介してもらったのが、「こどものまち」を知ったきっかけです。その方に教えられて、横浜市都筑区で行われているこどものまち「ミニヨコハマシティ」を観に行きました。
息子を連れて行ったのですが、まず息子がはまったんです。私自身、都市開発をやっていた人間で、なおかつ子どもが育つ環境に興味を持って取り組んでいたにもかかわらず、子どもによるまちづくりという試みを知らなかったことに衝撃を受けて、「これは面白い!」と思ったのです。
子どもがまちを作る、都市開発をする、しかもそれを子どもだけでやる、その中で子ども同士が切磋琢磨して成長の芽を会得していく…「これは私のためにある!」と思いました。

子育ての環境づくりにかかわる中でたどりついた「こどものまち」
■大人が口出し禁止のエリアを設け子どもだけでまちをつくりあげる
―「こどものまちミニカワサキ」はどういうものですか
大城:基本的には、大人が口出し禁止の子どもだけのエリアを作って、まちづくりをするのがベースです。エリアの中にジョブセンターがあって、仕事を紹介してくれます。そこで職を見つけて働いて、おカネを稼いで、そのおカネをエリア内で使います。

おとなは口出し禁止の「おとなツアー」

ジョブセンターの「お仕事募集掲示板」
仕事としては公共の仕事や、物販や飲食店などいろいろあります。子どもによってはひたすら作業をする仕事が好きな子もいるし、自分が作ったものが売れたということが好きだという子もいます。みんな色々な興味で仕事をつくりだすので、なんとなく「まち」っぽくなります。

ミニカワサキの中で使われる通貨「ミニK」
「こどもラジオ局」もある
―市長も選ぶのですね
大城:ミニカワサキでは、子どもは、いつも話し合いで物事を決めているので、市長はいますが、リーダーというよりは広報担当です。市長の意見でまちの方向が決まるという形ではありません。みんなで決めたこのまちを代表して、宣伝する役割です。
市長選挙の様子
―開催目的はなんでしょうか
大城:大人も子どもとともに育つ「共育」、自分のまちが好きになる「シビックプライド」の醸成、大人と協働したり、歳が違う子と協働する「多世代交流」、みんなでつながりあってまちの底力を向上させる「ソーシャルキャピタル」の醸成を掲げています。大きな目的としては、子どもが自ら育つ力を応援するということです。
―背景にどのような問題意識がありますか
大城:とにかく子どもたちが塾や習い事で忙しくて、放課後もなかなか自由に遊べないという子も多いのです。暇な時がなかなかない。暇なときに何をするかが、クリエイティビティにつながるし、自分らしさが出るはずなのですが、その暇がないのです。
時間が余ったら「私、何をしたらいいの?」と聞いてくる子がいます。好きなことをすればいいのですが、その好きなことがわからないで育てられてしまう子が、こんなにいるのか、というほど多いのには衝撃を受けました。それが問題意識ですね。
―大人は子どもとどう関わっていくべきだと思いますか
大城:子どもが自らやりたいと言い出したことを伸ばしてあげて、手を出さずに見守ることで、子どもは自分の頭で考える力が出てくると思います。
■「こどものまち」は「欲しい経験」を考えるUXデザインの好事例
―ところで本業の「とりどりワークス」ではどんな仕事をされていますか
大城:名前の由来はいろとりどりの「とりどり」です。大小様々な事務局のお手伝いや広報、リサーチなどの他、インタビューやライティングなどをお受けしています。
―UXデザイナーという肩書もお持ちですが、どういった職業ですか
大城:例えば、ペットボトルの飲料水でいえば、来春のモデルではどこを変えますかといった時に、モノありきで変えたいところを探すわけですが、この飲料水を飲むことによって、どんな気持ちになってほしいのか、どんな経験をしたいと思っているのか、という「欲しい経験」の方を先に考えて、それに基づいて商品を作るのがUX(User Experience)デザインです。
―UXデザインの仕事は「こどものまち」にどう生かされていますか
大城:大人に邪魔されずのびのびやりたいことをやれるというのが、子ども達が「欲しい経験」です。そのための環境を作っているのが「こどものまち」なので、UXデザインの好事例だと思っています。
―今後の抱負を教えてください
大城:「こどものまち」では、どんなに小さい子でも自分の意見が採用されて、実際にまちに反映された、という自己効力感が大事です。この自己効力感が、みんなの役に立てたという自己肯定感に繋がっていきます。
だから、規模は大きくなくていい。「こどものまち」は幼稚園や町内会単位でもできます。小さな「こどものまち」が同時多発的にたくさん行われているようなまちになったらいいなと思っています。
―読者へのメッセージをお願いします
大城:中原区には色々なスキルや技術、知識を持っている大人がたくさんいます。「教えてあげる」感じではなくて、子どもと一緒になって作る人がたくさんいてほしい。子どもの芽を摘まず、見守ることができる大人がいてほしいと思います。また、運営側で参加したいなという方も歓迎します!
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。