■母親に連れられて鍼灸師と出会い進路を決める
―小学校3年生の時に鍼灸師を目指そうと思われたとか
中村:正確に言うと、小学校3年生の時にマッサージ師になろうと思ったんです。その当時は、鍼灸師という職業自体、知りませんでした。その職業を知ったのは、中学生になってからです。
母が働いていて、疲れて帰ってきたときにマッサージを頼まれるのですが、母がとてもほめてくれて、喜んでくれるので、マッサージ師になろうと決意したんです。誰かに何かをして喜んでもらえることが、すごく嬉しかった。
―そこから鍼灸師になろうと思ったきっかけは
中村:私が中学生に時に母が鍼灸院に通っていたんです。ある時、その鍼灸院に連れていってもらい、先生に話を聞く機会がありました。その時に鍼灸師ってこういう仕事だよとか、東洋医学ってこういう学問だよと教えていただいた話に引き込まれて鍼灸師になろうと思いました。それが中学校3年生の時です。
―現在のビジネス・パートナーである新村慶太さんとの出会いは
中村:専門学校2年生の時に、元住吉の整骨院でアルバイトを始めました。その際に、同整骨院の他店舗で働いていた新村が、元住吉で院を開くということになり、近くだからと元住吉の店舗にお手伝いに来ていました。その時に、顔合わせるようになりました。
―新村さんが開業した鍼灸院「響氣」(ひびき)に移籍するきっかけは
中村:もともと独立志望だったので、どこで経験を積むかは凄く考えていました。整骨院はどうしてもスケジュールがタイトだったので、もう少しじっくり、ゆっくり診たいなぁと思っていました。そんな時に、たまたま仕事で地方に行っていた高校の同級生が地元に帰ってくるので、身体を診て欲しいと言われました。
そこで、新村に場所を貸してもらえないかとオファーをしたら、快くOKをしてくれました。1対1の空間で時間の縛りもなく、ゆっくりと話しながら施術ができるのはやっぱり良いなぁと思いました。
翌日、新村に店舗の鍵を返しに行った時に、「独立してやりたいと思っているんですが、お休みの日とかにベッドをお借りできますか。」と聞いたら、少し考えてもらい、レンタルルームという形で契約を結んでくれました。
新村慶太さん(右)と中村順さん
■最初は鍼灸院「響氣」に間借りして個人事業主として始める
―「響氣」で間借りして始めたわけですね
中村:そうです。ですから、最初は「響氣」の店舗の中で個人事業主として始めたんです。ただ、飲食店の「和氣和氣」をオープンする際に「響氣」を合同会社にし、少し体制が変わったので、昨年の12月に株式会社化し、「株式会社氣良來」となりました。今は新村と私、2人が代表取締役です。
―響氣会というものあるそうですね
中村:鍼灸院の患者さんとのお出かけ会です。一番最初にやったのが、富士急ハイランドに行こうの会です。それは患者さんと5人で行きました。2回目以降はバーベキューやラフティング、都電荒川線の旅で下町文化に触れてみたりもしました。他にも、患者さん自身の誕生日会を、企画・運営・集客なども患者さん主導で開催しています。これは、誕生日会という名目の患者さん同士の交流会なんです。
―ところでプロの鍼灸師として心がけていることはありますか
中村:今まで勉強してきた知識をしゃべりたくはなりますが、患者さんはいくら専門的な用語を言われてもちんぷんかんぷんです。だから、どれだけかみくだいて、そういった知識を言えるかどうかを心がけています。
またその前提として、信頼関係が築けていないと、患者さんのアタマには何も入っていきません。ですから、まずはお客さんの話を聞き出すようにしています。「響氣」のコンセプトとしても、しっかりカウンセリングをすることにポイントを置いているので、問診時間も30分程度をとっています。
■ユニークな飲食店「和氣和氣」を始める
―和菓子と日本酒と薬草茶屋のある駄菓子屋「和氣和氣」を始めた経緯は
中村:鍼灸院「響氣」を7年やったときに、予約もコンスタントに入って、「そろそろ違うことやろうか」という話が自然とでてきました。新村も私も食べること、飲むことが好きなので、飲食店をやろうということになったのです。
私がもともと趣味でずっと和菓子を作っていたんです。また日本酒も好きで、和菓子と日本酒を一緒に楽しめる店がなかなかないなぁと思っていました。それで和菓子と日本酒と緑茶とか…日本のいいもの再発見のような感じのイメージのコンセプトはどうかなといって、新村に提案して見たら「面白いね!」ということで話がスタートしました。
日本のいいもの再発見がコンセプトの「和氣和氣」
―店に出す和菓子は中村さんが作っているんですね
中村:そうです。あんこを炊いて、そのあんこを使ってどら焼きを作ったり、郷土菓子を作ったりしています。郷土菓子にポイントを置いていきたいと考えていて、定番では沖縄の郷土菓子ちんすこうを自分で作っています。
―日本酒にはどんなこだわりをもっていますか
中村:日本酒はとても美味しいお酒が日本全国にあるのに知られていないので、うちの店では日本酒を常に25種類以上楽しめるように、バラエティ豊富に揃えています。その日本酒の飲み放題もやっています。日本酒って、悪酔いするとか次の日に残ると避けている方が多いなぁという印象なんですが、日本酒のことを知って、自分に合った日本酒を見つけて欲しいという想いを込めて提供しております!
―薬草茶屋とはどんなものですか
中村:ツボクサや月桃、他にも数種類の素材をブレンドして煮出して、お客さんに飲んでいただいたりしています。薬草にはデトックス効果があるため、利尿作用やアンチエイジングを目的に飲まれる方も多いです。
―駄菓子屋さんというのは、どういうことでしょうか
中村:今の時代、子どもが気軽に寄れる場所がないなと思っていたのです。そこで、駄菓子を置くことによって、気軽に店主と会話する関係が築ければ、地域の防犯の目にもなるし、子どもにも親にもいいんだろうなと思ったのです。
■商店街の青年部立ち上げにも携わる
―アンダー30の会というのもあるそうですね
中村:和氣和氣のイベントです。うちの店の料理長が27歳で、同世代がこの近辺にいることはいるんですが、みんなつながりが薄い。そこでつながる場を設けて、一緒に夢をかなえたりする仲間を作ろうぜみたいな感じの会です。私は見守り役で料理長が主催している形です。
そもそも「和氣和氣」という店名は、「和」というのが合わさるとか交わるとか、あえるという意味があり、「氣」というのが、四方八方から集まるという意味があります。色んな日本のいい食材や人が、和氣和氣を通じて、色々なところから集まってきて広がっていければいいなという想いを込めています。
店内の間取りもユニーク
―モトスミ・オズ通り商店街振興組合で青年部を立ち上げたそうですね
中村:青年部の立ち上げ自体は新村です。新村が1年間、青年部長をやって、その次の年にバトンを渡され2年間やりました。商店街には「おずっちょ」というゆるキャラがいます。10年前までは「おずっちょ」が日の目に出なく、眠っていることが多かったんです。青年部が立ち上がり、「おずっちょ」と一緒に商店街を盛り上げようと日々活動をしていました。
最近はようやく、「おずっちょ」と名前を呼んでもらえ、着ぐるみの「おずっちょ」の周りに子どもたちが集まるくらい認知度が上がって、街の人からも親しまれるようになりました。
―「本氣」という言葉を大事にしていますね
中村:今やっている事業などにどれだけ本氣で取り組めているか、という判断基準になっています。決断して、継続して、楽しめていて、周囲に影響を与えられていて、みんなが「本氣でやっているね」という評価してくれれば、自分の自信にもつながります。
自分は楽しくやっているけれど、周囲に影響を与えていなければ何か方法が違うと思うし、それ以前に、とりあえず継続してやっているけれど、楽しくないなと思った時に、「あ、これは自分の中で本氣じゃないんだ」という判断が下せます。
じゃぁ、これをこうしてあげれば楽しくなるかなとか、そもそも初めに決めていたことが違っていたんだとか振り返ることができます。つまり常に自問自答しているんです。
―今後の抱負をお聞かせください
中村:地域もよくてスタッフもよくてお客さんもよくて、自分もよくてみたいな三方よしのような考え方で、自分に関わる人たちが、日々を充実させるためにちょっとした事でも手助けができたらいいなぁと思っています。それはサービス業の基本で、根本にあるのは、人に喜んでもらえるための仕掛けを打ち続けることです。
―読者へのメッセージをお願いします
中村:元住吉には個人が頑張っている店舗が沢山あります!是非、色んなお店に足を運んで、お氣に入りのお店を見つけてください!
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。