■アクションスターに憧れて始めたタップダンス
―タップダンスを始めたきっかけは何ですか
藤川:中学生の時に真田広之さんやジャッキー・チェンなどアクション系の俳優に憧れがあったので、当時、真田さんが所属していたジャパン・アクション・クラブ(JAC)に入りたいと思い立ちました。ただ、運動など全くやったことがなかったので、JACに入るために特技を身につけようと思い、タップダンスを始めました。
JACに入ればアクション俳優になれると思っていましたが、体操など全くやっていなかったので、やはりなれなかったですね。同期には体操部あがりの人がほとんどで、最初からムーンサルトなどの難しい技ができてしまう人が来ていました。
ただ、ダンスだけはトップのクラスに入れたので、ダンスの道を進もうと思ったのです。なかでもタップダンスが面白く、かつ、当時は有名な方もいらっしゃらなかったので、タップダンスならば、日本のトップに立てるのではと思ったのです。
そこで、高校を卒業するときに、JACを含めて習い事はすべてやめて独立開業し、色々なところに自分の履歴書を持って行って、「インストラクターさせてください」など自分で営業をして回りました。
―1994年にStudio&Dance Team「M’S TAP FACTORY」を結成しましたね
藤川:他人のスタジオに教えに行ったりしていましたが、自分で活動していくときに、当時、ソロのタップダンサーとして活躍する場がなかったのです。仲間がいないと演目として作品をつくるということができませんでした。そこで、自分の教え子さんたちが育ってきたので、教え子と一緒に作品を創り上げていくためのチームを結成しました。
「M’S TAP FACTORY」を結成して踊る藤川誠さん(右)
■2003年から台湾に渡りタップダンスの指導・振付に従事する
―1998年にはダンスインストラクター派遣会社「ダンス工房」を設立されましたね
藤川:自分が営業もしてダンススタジオに教えに行っていましたが、自分だけで動くには限度がありました。当時は1週間に20~30クラスを教えていましたが、これ以上大きくするには、人を雇って僕の代わりをしてもらわないと仕事が回っていかなかったのです。
―2003~2007年にかけて台湾でタップダンスの指導・振付をしていますね
藤川:僕が教えていたミュージカル・アカデミーがあって、そこでジャズダンスを教えていた先生が、台湾とつながりがあって、台湾でタップダンスのコンテストの審査員もされていました。その先生から「今回は台湾に行けないから、代わりに行ってくれないか」と依頼されて、コンテストの審査員として台湾に行きました。
その時に、台中のスタジオで2週間、レッスンをして、作品をつくっていたら、他の台湾のスタジオからもオファーが来て、結局、5年程度、日本と行き来しながら、台湾のスタジオで指導・振付をしていました。2005年には、台湾の教え子たちがタップダンスフェスティバルを立ち上げるというので、協力しました。
■2008年に「かわさきタップフェスティバル」を立ち上げる
―2008年に「かわさきタップフェスティバル」を開催した経緯は
藤川:台湾のフェスティバルの立ち上げに協力したわけですが、「藤川さんは、何をしている人なんですか?」と訊かれた時に、「何もないなぁ」と思ったのです。台湾の若者たちの方が、いろんなことをチャレンジしてやっているので、「日本に帰ったら、僕もやるね!」といって、2008年から「かわさきタップフェスティバル」を開催したのです。
そこで、どうせやるならば日本で一番大きなフェスティバルにしたいと思って、川崎市教育文化会館を借りました。今はコンテストとソロパフォーマンスとユニットパフォーマンスを3日間に分けてイベントを開催していますが、当時は丸1日、5時間かけてすべてをやりました。
今年9月に開催された「かわさきタップフェスティバル2024」
―「かわさきタップフェスティバル」はどういう内容ですか
藤川:まず、ソロコンテストがありますが、これは日本で唯一のタップダンスのコンテストです。しかし、最初の頃は応募者が全部で10人とかの時代もありました。今は、子供の部、学生の部、一般の部で10人ずつ募集するとすぐに参加者が埋まる状況です。コンテストに出たいという意欲のある若い世代が活発化してきたなと感じます。
次に僕が一番観てほしいソロパフォーマンスです。僕の若いころはタップダンサーがソロで踊るということがまずありませんでした。しかし、アメリカではソロで生バンドをバックに踊るというのが、当たり前にあります。ですから、プロダンサーが踊れる場にしたかったのです。仕事として踊れる場がないので、とりあえず、年に1回だけでもそういう場があるよという機会にしたかったのです。
日本のプロダンサーをみんなに知ってほしい。そこから仕事につながっていってくれたら嬉しいなと思っています。「かわさきタップフェスティバル」にお客さんがついてくれればいいのですが、なかなか難しいですね。
■2016年にダンススタジオ「Bloomove Dance Studio」をオープン
―2016年に「Bloomove Dance Studio」をオープンされましたね
藤川:僕がもともと新丸子出身なので、地元で何かしたいと思っていたんです。8年前にダンススタジオとしてやっているところはほとんどありませんでした。それで、自分がやってみたいとスタジオを探してみたのですが、そういう場所がなかったんです。
そうこうしているうちに、僕の教え子が「先生、僕がおカネを出すから、スタジオをつくりましょうよ」というとても素敵なお声がけをいただいたんです。そこで二人で場所を探したら、今のスタジオの物件が見つかったんです。そのひと言でとんとんと話は進みました。
―このスタジオはタップダンスだけではないんですね
藤川:個人的にはタップダンスだけにしたいのですが、ジャズダンスやヒップホップ、バレエなどのクラスも設けています。また、キッズ専用クラスとして、3歳~中学生までのクラス、一般のクラスでは、親子ダンスやインクルーシブのクラスなどもあります。
地元の子どもたちを集めて、目標は「武蔵小杉から世界へ!」を目指しています。今、子どもは80人近く在籍しています。大人が45人程度ですね。
「Bloomove Dance Studio」で練習に励む生徒さんたち
―今年「M’S TAP FACTORY」結成30周年で記念公演をされるそうですね
藤川:12月8日(日)にラゾーナ川崎プラザソルで記念公演を開催します。アドリブが三分の一くらい入っているようなストーリー仕立てのダンスにして、タップを見せていくという形をとっています。出演者は15人くらいいます。あとは、「Bloomove Dance Studio」の生徒さんやメンバーの生徒さんが出演してくれることになっています。
―今後の抱負をお聞かせください
藤川:個人的にはもういいのかなという気もするんですが、若い子たちのほとんどが小学生の頃からスタジオに在籍していて、今、30歳になりつつあり、その子たちも卒業していく歳になっています。ですから、その下の世代を育てていくためにもスタジオを残していかなければいけないと思っています。
―読者へのメッセージをお願いします
藤川:まず、タップシューズを履いてほしいですね。とにかく体験をしてもらいたい。あとは、僕より上の世代の方たちだと、映画でジーン・ケリーやフレッド・アステアなどのタップダンスを観た人たちは多いと思います。そういう映画を観てやってみたいなと思っても、昔はスタジオがありませんでした。
そういう人たちに、「今、やってみませんか?」という強い気持ちがあります。映画で憧れを持っていた人たちにチャンスの場をつくれればいいなと思っています。
一方、子どもたちはタップダンスをやることにより、リズム感とリズムに合わせた体の動かし方を身につけることで、他のスポーツにもかなり影響があると思います。サッカーなどの練習を見ていても、タップダンスを取り入れられる部分がいっぱいあります。
とにかくやってみてほしいと思います。また、タップダンスをやる人が増えれば、自然と観る機会も増えてくると思います。まずはみなさんにチャレンジしてほしいと思います!
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。