■店を始めるきっかけは2011年の東日本大震災
―もともとはフォトジャーナリストを目指していたとか
時田:若い時は目指していましたが、実際にオーストラリアに行って写真を勉強してみて、私には向いていないということがすぐにわかりました。ただ、みんなに決意表明をした手前、すぐに帰国するわけにもいかず、しばらくオーストラリアで過ごしていました。帰国してからは、派遣などの仕事をしていました。海外にいたので英語が少しできたこととパソコンが多少使えたので、仕事はありました。
―飲食店を始めようというきっかけはあったのですか
時田:きっかけはやはり2011年の東日本大震災ですね。衝撃を受けて2012年には店を立ち上げました。いつ何があるか、本当にわからないと思って、後悔しないように生きようと思ったのです。実は、もともと自分の場がほしいというか、小さいカフェのようなものをやりたかったのです。また、身体にいいものを食べてもらえる場所をつくりたいという想いを秘かにずっと持っていました。
ある時、幼馴染の母親が30年続けたスナックを閉めて、そこが空き店舗になりました。そこで、すぐさま掛け合って、その日のうちにお借りすることを決めました。自分がやりたいと思っていたお店にちょうどいい大きさだったのです。当時、半導体業界の外資系企業に正社員として働いていたのに、まったくやったこともない世界にいきなり飛び込んだので、周囲は驚いていました。
■怪我がもとでキッチンをシェアすることに
―提供されている食事で心がけていることは
時田:できるだけ自然のままで食べられるものをお出ししています。オーガニックではなく、普通の八百屋さんで売っている野菜でも構わないのですが、なるべく化学調味料などで加工されていないものを一から作ります。また、野菜を90%くらい盛り込み、ベジタリアンやビーガンの方にも対応できるようにしています。

野菜たっぷりの木月キッチンの食事
―シェアキッチンはどのように始められましたか
時田:コロナ禍の時に股関節を怪我したのです。それまでは火曜日から土曜日まで週5日、お店を開いていましたが、とても無理なので3日程度しか店が開けられませんでした。そこで、やりたいという人に店を貸し出すことにしたのです。
移転する前の店では韓国料理、カレー専門店、クラフトビールのお店、それにポップアップで店を開きたいという人たちでシェアしていました。今も続けてくれているフィレンツェ名物のランプレドットのお店は新しいお店になってからも継続してくれています。
現在は、そのイタリアンのマンマ・ランプレドット、量り売りのバルクフーズと居酒屋の和氣和氣、エビカツバーガーのマデリカ、メキシカンのマデリカンとシェアしています。また、お豆腐料理屋さんも入ってくることになっています。
―その方々とはどういういきさつでお知り合いになったのですか
時田:和氣和氣さんはもともと商店街のつながりで、バルクフーズさんは犬のご飯を売っていただいていたご縁で、そのほかの方々もたまたまお知り合いになった方々です。ですから、大々的に募集をかけたわけではありません。以前からの知り合いばかりで、気心が通じているので不安はなかったですね。
■子ども食堂を始めた当初は人が集まらなかった
―一方で子ども食堂をやられていますが、きっかけというのは
時田:もともと自分でできる社会貢献活動をしたいなと思っていたのです。若いころにアジアを旅して、ものすごい貧富の格差、貧しい子供たちを目のあたりにしてとても衝撃を受けました。それがずっと根っこに残っていて、自分でお店をやっていた時にスタッフもどんどん増えて、「今ならできる!」と思ったタイミングがあったので、始めたのです。
子ども食堂を始めた2017年当時は、まだまだ認知度がなく、子どもが集まりませんでした。100円でご飯をご提供しますといっても人が集まらなかったのです。ただ私たちの試みが珍しかったようで、朝日新聞が取材に来てくれたりして、そこから信用されるようになり、子どもたちも来るようになりました。
―食事にこと欠く人がやはり多いのでしょうか。ひとり親ごはん会もされていますね
時田:食事にこと欠く人というより、親が忙しすぎてご飯を作れないという人が多いですね。ひとり親ごはん会を別途設けたのは、最初、子どもであればだれでも歓迎としていたのですが、そのなかにちらほらひとり親の親子がいたのです。だから、ひとり親だけにフォーカスすれば、彼らにより多く、食事の機会を提供できるなと考えたのです。ひとり親ごはん会は登録制で、現在、40~50名いらっしゃいます。
また、会社員の男性がシュークリームを50個提供してくれたり、元住吉のオズ通り商店街も「みんなの食堂」という名前で、協力してくれていますし、ブレーメン通り商店街はフードドライブで食品を集めてくれています。相当なお金の寄付をしてくれる個人の方もいます。
さらに近隣のレストラン「アルペンジロー」さんも毎月ひとり親ごはん会にお惣菜を寄付してくれたり、3ヶ月に1回、ご自分のレストランに50人ほどを招待してくれています。こういう皆様のご協力があり、そのおかげで、木月キッチンとしては場所と労力は提供しますが、金銭的な持ち出しをしないですんでいるので、この8年間というもの続けることができたんだと思います。
ちなみに、子ども食堂は1回につき、3~4万円程度の費用がかかります。子ども食堂は月に2回で、お弁当を配る日はおよそ70食、ひとり親ごはん会では、50人分程度です。また、若者たちに食品を配送する「はらぺこ宅配便」というものもしていますが、これは約20人です。
「はらぺこ宅配便」は段ボールに食材を詰めて送るのですが、食材を寄付してくれる方も多く、お金を寄付していただいて、そのお金で食材を補ったりもしています。実はこの宅配便がコストが一番かかります。1件、発送料が1200円程度かかるので、20件あれば、発送料だけで24000円になります。それも今のところは寄付で賄っています。

ひとり親ごはん会も盛況

困窮する若者には「はらぺこ宅配便」で支援
■新店舗では本棚の設置やイベント開催など新しい試みを実施
―昨年末にオズ通り商店街からブレーメン商店街に引っ越されたのはなぜですか
時田: 入居していた建物が建て直しの予定があったので、次の場所を探していて、工務店の作業所として使われていたスペースを改装しました。元の場所に比べれば4倍ぐらい広くなりました。移転するにあたっては、かなり迷いました。これを機に引退するかどうかを迷ったのですが、まだやりたいことが沢山あったのでリニューアルオープンすることにしました。
周囲の人たちは、どうやって木月キッチンの経済は回っているのだろうと不思議に思っている人もいるみたいですね。赤字になったらやめようと思っていますが、今のところ黒字で何とか営業しています。子ども食堂を続けていきたいので、ビジネス的な利益は絶対に出していかないと、とは思っています。
―店舗が広くなった分、新しい試みなどはありますか
時田: ロフト部分は現在様々なワークショップとして使ってもらっています。私自身、現在介護をしていますが、たくさんのサポートをもらっていても大変です。頼れる身内があまりいない方とかはさぞ大変だろうと思い、みんなで介護のお茶会という名のおしゃべり会とかをしたいと思っています。また、他にもお話をいただいているので、今後楽しみです。
後は、シェア本棚「もちもち文庫」ですね。シェア本棚を運営してくれている方との共同経営です。本棚に26枠設けて会員を募り、一人一枠で本を置いてもらっています。会費が2000円〜3000円なのですが、本を置いてもらうかわりに、当店のコーヒーチケット(500円相当)を4枚差し上げています。本は貸し出しではなくて、カフェタイムとかに読んでもらっています。様々な人の世界観を体験してもらえたら嬉しいです。

シェア本棚「もちもち文庫」
―イベントも開催されているとか
時田: 本棚イベントは第1・第4火曜日の夕方から。たとえば、本棚オーナーの方で占いカフェを開いたり、ヨガの先生がアロマのクラスをやるなど、置いてある本にまつわることをやっています。それとは別に、全体のイベントは様々な作家さんと「ハレノヒマルシェ」を年に2回程度開催しています。

年2回程度開催される「ハレノヒマルシェ」
―今後の抱負を教えてください
時田:シェアしているお店も多彩で、シェア本棚もあり、まちの相談室をやられている方もいたりして、この店に来てくださるみなさんが「陽」で、少しでも明るく楽しい気持ちになれるような場所になればいいですね。よりそういう方向性を目指していきたいと思っています。
―読者へのメッセージをお願いします
時田:木月キッチンは様々な側面を持つ店です。たとえば木月キッチンは、野菜たっぷりの身体にいいもの食べていただく定食屋だし、居酒屋の和氣和氣さんだと、バラエティに富む日本酒があって、その飲み放題もあります。さらにイタリアンのお店やメキシカンのお店などもあり多彩な展開をしているので、ここだったら来れるといった場があると思うます。ぜひ、一度試しに来てみてください!
木月キッチン・ホームページ:https://sites.google.com/site/kizukikitchen/
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。