アロマの伝道師・安齋由香さんの「紆余曲折人生」

アロマの伝道師・安齋由香さんの「紆余曲折人生」

いまでこそアロマの伝道師として、アロマの効用や魅力を広めている中原区在住の安齋由香さん。しかし、その半生は、紆余曲折と言ってもいいようです。3歳の頃からピアニストを目指していたけれど、手の手術で断念し、歌手に転向。一転、エステティシャンになったと思ったら、介護に追われた日々へ。その後、夫婦でラーメン屋を経営することに。その波乱に満ちた人生を語っていただきました。


ピアニストの夢を断念し歌手に転向

―そもそもはピアニストを目指していましたね

安齋:実家が音楽教室を開いていたので、3歳からピアノをずっと習ってきました。ですから、ピアニストになるのが当たり前だと思っていました。

―ところがロックンローラー族に入り演歌歌手の付き人になられたとか

安齋:高校時代に、手を手術することになりピアノが弾けなくなりました。手術で神経を触ってしまい、術後、思わしくなくピアニストを諦めることにしたんです。

 

その高校時代に「アメリカン・グラフィティ」という映画を観て、こんな楽しい世界があるんだと強い印象を受けました。そこで当時、原宿の代々木公園のホコ天で踊っていたロックンローラー族(以下、ローラー)に私も参加しました。家からオールディーズの可愛い格好で出かけていきましたね。

 

昼間踊るのですが、チームごとに集まる喫茶店があって、チームメンバーはただで飲食ができました。というのは、チームがこの喫茶店にいるというのがわかると、地方から出てきた子が、写真を一緒に撮ってくださいなど、喫茶店に訪ねてくるので、集客力があったからです。

 

また、ローラーは仕事のようなことをしていました。メディアからの依頼があって、カラオケの映像に映ったり、テレビ番組の「ベストテン」などでアイドルが歌うと、そのバックで踊ったりしていました。

 

そんな最中に、ある演歌歌手の方が「独立するんだけれど、誰か助けてくれる人はいないか」ということで、その演歌歌手の付き人のようなことになりました。しかし、私が病気になってしまって、いったん安静にしていなくてはならなくなりました。それが19歳の時でした。

原宿・代々木公園のホコ天でロックンローラー族として踊る

―それからライブハウスで歌うようになったんですね

安齋:病気も治ったので、どうしようかと思っていた時に、歌ってみたらどうかという誘いがあって、池袋のフィフティーズ・バーを紹介されて、そこでコニー・フランシスのカバーを歌わせてもらいました。バンドメンバーのコネクションで、米軍の座間キャンプでも歌っていました。ただ、夜の仕事で生活も不規則になったせいか、また病気になって入院もして、ライブハウスで歌うのはやめてしまいました。

一転、スポーツクラブのエステティシャンから大手化粧品メーカーへ

―一転、スポーツクラブに勤めて店長まで任されたそうですね

安齋:病気も回復したので、次はどんな仕事をしようかなと探し始めたら、スポーツクラブの受付の職を見つけたのです。これならそれほどハードでもなく、自分でも務まるかなと思ったのです。

 

そこでしばらくスポーツクラブのフロントの仕事をやっていたのですが、社長から呼び出しがかかったのです。「エステ部門を立ち上げようと思うんだけど、やってみない?」とのことでした。そこで仕事をしながら、通信講座を受けて修了証をもらってエステティシャンになりました。

 

エステをやっているうちに顧客が増えて成績も上がり、「今度、新店舗を自由が丘に出すから、そちらに店長として行ってくれ」と言われて、自由が丘店の店長になり、その後も吉祥寺店、三鷹店の店長を務め、東京エリアのエリアマネージャーもやりました。最期は、全国の店舗をテコ入れするメンバーにもなりました。

―その後、大手化粧品メーカーに入られますね

安齋:スポーツクラブのお客さんで大手化粧品メーカーの方がいらして、お誘いを受けました。当時、過労で体調を崩していたので「定時で帰ることができるならば、嬉しいです」と言って、オファーを受けました。そこで大手化粧品メーカーでマッサージ部員のような形で働くことになりました。

大手化粧品メーカーではマッサージ部員に(後列右から2番目)

―その時期に結婚されるんですね

安齋:そうですね。21歳の時です。そもそものなりそめは、私が中学生で、主人が高校生の時代に、私の友人を通じて知り合っていました。付き合い始めたのは主人が六本木の和食の板前をしていて、当時、私も六本木界隈で演歌歌手の付き人の仕事をしていたので、徐々に一緒に遊ぶようになったんです。

義父の介護に追われた5年間の後、夫婦でラーメン屋を経営

―結婚後、急転直下、介護生活に入られますね

安齋:義父が50歳頃の時に、体調が悪くなって病院通いが始まり、脳の難病だということが判明したのです。ただ、身体はしっかりしているので、どこかに行ってしまったり、認知症のようになってしまいました。私も大手化粧品メーカーを辞めて、ひたすら介護の日々が5年間続きました。

―介護生活を終えられて夫婦でラーメン屋さんを始められましたね

安齋:当時、私は大手化粧品メーカーの方から改めてお誘いがあったのですが、主人に元祖ニュータンタンメン本舗元住吉店のオーナーチェンジの話があったのです。かなり迷いましたが、夫婦で一緒に店をするということも稀なことなので、主人と一緒にお店をやろうと決心しました。

 

そこで、私はホール係として店に立ちました。主人が数年前に亡くなり、店を閉めようかと思っていたところに「やります!」という人がいたので、私がオーナーとなり続けることにしました。

コロナ禍でキャンドルやアロマを学ぶ時間を得る

―アロマとの出会いは、ラーメン屋さんをやっているときなのですか

安齋:先に、キャンドルとの出会いがあります。エステをやっていたので、使っている化粧品が自然派のものなので、アロマにもともと興味がありましたが、それよりもキャンドル作りをやってみたかったのです。

 

しかし、介護や子育てがあるので、なかなかできませんでした。ラーメン屋さんを始めてからも、私の両親の介護もありましたし、義母も肺の病気になってしまい、ずっと介護の生活になってしまったので、自分の趣味というのがずっとできていなかったんです。

 

ですから、キャンドルやアロマを落ち着いて学ぶことができるようになったのは、介護生活が終わってからです。コロナ禍で、元祖ニュータンタンメン本舗グループ全体でお店を休業することになったので、キャンドルの師匠のところに通うことができました。

―アロマとはどう結びつきますか

安齋:キャンドルに入れるものは香料です。そこで本物を使いたいなと思ったのです。しかし、アロマは1滴だけでも120円程度します。例えば、バラのアロマは1滴にバラ40本分入っているので、1滴で380円もします。それでは、キャンドルには使えません。ですから、キャンドルに使うアロマは比較的安価なものを使っていたりします。

―アロマテラピーもされるのですか

安齋:今日のコンディションを聞いてオイルを調合してアロマテラピーをします。たとえば、飲みすぎの人には、胃腸を快調にするオイルをつくって、トリートメントをします。

―アロマの魅力や効能、使う上での大事なことはありますか

安齋:アロマの魅力は、やはり脳に届く速度が速いので、一瞬にして覚醒できたり、気持ちが和らいだりすることですね。アロマは血行が良くなるとか、痛みを緩和したりするという効能もありますが、間違った使い方をしている方もいます。たとえば、妊婦さんや心臓疾患のある方にはこのアロマはダメといったものがあります。

 

また、安いフェイクのアロマを使っている方もいます。フェイクのアロマをお風呂に入れてしまったりする人も多いのですが、そういうことは絶対にやめてほしいですね。皮膚トラブルのもとになります。私もまだまだ勉強中ですが、アロマのことをきちんと勉強してほしいと思います。

Studio.An.Aromaのアトリエ

―Studio.An.Aromaではどういう活動をされていますか

安齋:ハウジングセンターで石けんを作ったり、生命保険会社で、アロマスプレーを作ったりしています。社員同士のコミュニケーションをとったり、社員とお客さんのコミュニケーションをとったりするアイテムとして招かれたりしています。また、来年2月には中原区役所の依頼で、地域の方々同士の親睦を深めるコミュニケーション・ツールとして呼ばれています。

―読者へのメッセージをお願いします

安齋:とにかく私のテーマが「きらきらときめく日常を過ごしましょう!」なんです。キャンドルを作るとき、みなさん、「めちゃ可愛い!」って言うんです。「可愛い」って言葉、毎日は使わないですよね。ですから、「今日、可愛いって何回言った?」というふうに、日常にときめきを絶やさないでほしいと思います!

安齋由香さんとの出会いの場:こすぎの大学

この記事のライター

現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。

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