■「音楽のまち・かわさき」の起爆剤ミューザ川崎シンフォニーホール
―「音楽のまち・かわさき」というキャッチフレーズを掲げてから20周年になりますね
中村:具体的なきっかけは、やはりミューザ川崎シンフォニーホールがオープンしたことですね。これだけ大きな規模の公共施設をつくっておしまいということではなくて、これからが逆にスタートであって、日本でも指折りのホールをまちで生かしていかない手はないと考えたわけです。
その際、新しいステーツメントが必要だろうということで考えだされたのが、「音楽のまち・かわさき」でした。ただ、それはミューザ川崎だけで成り立つわけではありません。
洗足学園音楽大学や昭和音楽大学、市民オーケストラとして川崎市のオーケストラ連盟に加盟している団体が4つもあり、さらには市民合唱団も114団体が川崎市合唱連盟に加盟しているという背景もあります。
また、「かわさきジャズ」が今年で10回目ですが、ジャズを通して人と人、地域と地域の橋を架けることを主眼としています。音楽を通して人生の豊かさをサポートしていく…そうすれば結果として、まちの賑わいも出てくるんだと思います。
ミューザ川崎シンフォニーホールのオープンから「音楽のまち・かわさき」は始まった
(撮影:N.Ikegami/川崎市文化財団提供)
■色々なアートを様々な人たちが楽しめる「アート・フォー・オール」
―川崎市が今、掲げている「アート・フォー・オール」という施策に通じますね
中村:川崎市は「音楽のまち・かわさき」以外にも、「パラアートかわさき」といった障害のあるなしにかかわらずアートの扉を開くなど、色々な文化・芸術の分野で様々な人たちがアートを楽しめることができるような試みを「アート・フォー・オール」として推進しています。
さらに「こと!こと?かわさき」という事業を立ち上げ、東京藝術大学と協定を結んで、アートを介して人と人をつなぐ役割を果たす人たち…アートコミュニケータ「ことラー」を育成する講座を、この4月から開いています。
アートを通じて、対話のある社会や多様性が尊重される社会、より包摂性が高く社会的な孤立がない社会づくりのようなものを実現していくことが、「音楽のまち」や「映像のまち」の次の段階なのかなと思っています。
これが実は新しいミュージアムにもつながっていきます。台風被害にあって休館した川崎市民ミュージアムの代わりに、生田緑地にある向ケ丘遊園の駐車場の跡地に、バラ園と一体的に新たなミュージアムを整備することで、より魅力ある空間づくりを目指しています。
この計画では、「まちなかミュージアム」という基本構想を打ち出していて、新たなミュージアムが拠点施設として既存の公共施設や民間のアートスポットと連携し、緩いネットワーク型ミュージアムとして「アート・フォー・オール」を実現していこうとしています。
―他方、市民の手作りアートを行政はどう支援していますか
中村:川崎市文化財団ができることには限界がありますが、たとえばパラアートを推進公募型事業委託という形で、色々な応募の中で選定して採択された事業として、支援を行っています。また、全区役所に提案型事業制度というのがあって、区の提案事業として、アート系の助成事業が増えてきています。
さらにかわさき市民活動センターのかわさき市民公益活動助成金制度でもアート関連の事業を助成しています。公的セクターが資金的な支援をしていますが、広報的な情報発信での支援や助言、コーディネートなど、まだまだやれることやるべきことはあると思っています。
市民の手作りアートも支援している
■トライ&エラーで最適化を目指す「ソーシャルデザインセンター」
―一方で川崎市独自のまちづくりも推進していますね
中村:従来、区民会議というのがあって、6期12年やってきて、初期には色々な課題に対する成果を出していました。しかし、社会課題が複雑化する中で、区民会議の在り方を見直しなさいという提言をいただいて、検討が始まりました。
2005年に川崎市で自治基本条例が施行され、市民が主役であり、「情報共有」、「参加」、「協働」の3つの自治運営基本原則が定められました。ですから、市民自治が基本です。
高度成長期の右肩上がりの時代は、税収も伸びていく中で、公的セクターが税財源を再配分することで地域課題が解決できた時代です。小学校が足りないから建てるといったことから、上下水道を整備するなどが典型的な例です。
ただ、そうしたこれまで通りの旧来型の行政手法では解決できない複雑な課題が広がる中で、行政も変わらなくてはいけない。やはり、市民の方々が自ら地域の課題に向き合って、解決していくやりかたの方が、そもそもの市民自治の在り方としてふさわしいのではないかと考えたわけです。
そのために、各区に「ソーシャルデザインセンター」が設置されたのですが、地域に向き合う新しいセンターをつくるにあたっては、市民の皆さんと一緒に悩みながら、時には失敗してもいいから、トライ&エラーでよりいいものを最適化してつくっていく余白のある仕組みにしようという考えがあります。
そういう考え方そのものを「市民創発」と言っています。自治基本条例に定められた「情報共有」、「参加」、「協働」という基本原則だけでは乗り切れない様々な地域の課題を「市民創発」という新しい政策概念を共有することで、これからの未来をつくっていきましょうというメッセージを込めています。
中原区ソーシャルデザインセンターでは「YORIAI」という定例会が開かれている
■選択性のある社会を築くことがまち全体を豊かにする
―成熟した市民社会では「ちいさきもの」にこそ可能性があるそうですね
中村:ようやく定常型の社会というか成熟した市民社会になりつつあると思っています。そうした社会で、人が本当に大切にすべきことは何なのか、「他者と生きる」ということはどういうことなのか、小さな関係性が豊かであればあるほど、その人の人生のウェルビーイングは高まっていくと思います。
まちの中の小さなイベントなどの現場に考えるべきヒントがある、感じ取るべきことがある、もっといえば、そこに課題もあると思っています。ですから、そこはなるべく自分の目で見て、人と話し、声として聞いて、感じ取ることを原点にしないといけないと思っています。
―すでにある資源を組み合わせることで、新たな価値が生み出されるとか
中村:「ないものねだり」ではなく、すでにある資源をきちんと再発見をする必要があると思います。そうしたものを磨き直し、単独の資源としてではなく、掛け合わせることによって、より可能性が広がるのではないでしょうか。
たとえば、あまり使われてこなかった町内会館を、学習支援やこども食堂の場として使うなどマッチングすれば、お互いの活動の幅が広がるわけです。それは町内会への理解とか世代交代にもつながっていき、いろんなことが連鎖的に動いていきます。
―ひとりひとりの自己実現がまち全体を豊かにするそうですね
中村:選択性のある社会を築くことですね。アートでも環境問題への取り組みでも単なる趣味のサークルでもいいのです。人それぞれの居心地の良い、自己実現できる場所があっていい。1本の太い綱としてのセーフティネットよりは、100本の細い糸があった方がいいのです。
行政のセーフティネットとして、生活保護制度などの社会的な制度も必要ですが、それだけではなくて、市民の皆さんが、地域の中でいろんなネットワークを持つことが、実は重要なセーフティネットだと思っています。そうしたチャンネルや場所、空間みたいなものの選択の可能性を少しでも広げていくことが大事ですね。
―今後の抱負を教えていただけますか
中村:今まで立ち止まって考えるとか、静かにゆっくり考えるといったことが大事なのはわかっていても、いつもがむしゃらに走ってきたことを常に反省していました。そういう意味では、還暦を迎えて、今まで気づかなかったこと、気づけなかったことを感じとれるだけの働き方をどういう風にしたらいいのか悩んでいます。
―読者へのメッセージをお願いします
中村:生まれ育った川崎っていいまちだなって思っていますが、私が知らない良さがまだまだあって、それをこれからもいろんな人と一緒に見つけていきたいと思っています。
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。