■香港上海銀行時代にMCの才能が花開く
―専門学校時代は深夜のバイトなどをやって家計を助けていたそうですね
笹田:高校三年生の夏、進路を決めなくてはいけなくなった時に、家にはおカネがないことがわかりました。父がほとんど視力のない状態になって会社を辞めなければいけなかったのです。ですから、学費が安い専門学校なら自分でバイトをして学費が払えるかなと思い、専門学校に進学することにしました。その当時は、ファミリーレストランのすかいらーくで夜10時から深夜2時まで働きました。
―夢は航空会社のキャビンアテンダント(客室乗務員)だったそうですね
笹田:そうです。理由はお給料が良かったからです。おカネが不自由だったし、母が日中は働きに出て、夜は内職をするような状況でしたから、家計の足しになるように、少しでもお給料のいい仕事をしたかったのです。
―しかし、客室乗務員にはなれずに、香港上海銀行に入行することになりましたね
笹田:当時、客室乗務員の試験は、新卒では大卒は採用していましたが、高卒は空きがない限りは募集がないのです。専門学校卒は、高卒になってしまうのですが、日本航空が高卒に空きができたので、募集していました。そこで試験を受けたのですが、倍率は200倍。当時、年齢制限がなかったので、様々な実績を積んだ方たちが応募してきて、19歳の私はひよっこもいいところで、見事落ちてしまいました。
そこで専門学校の先生が、香港上海銀行を推薦してくれたのです。サービス業として、人と話す仕事をしたかったので、最初は送金課などに配属されましたが、窓口に移りたいと願い出たら、窓口業務に変えてもらえました。
―その頃にMCの才能が花開いたそうですね
笹田:そうなんです。ある時、合コンをやったときに、その中の男性のお母様が、結婚式の司会の派遣会社をされていたんです。当時は携帯電話がなかったので、家の固定電話にかけるしかなかったのですが、その男性の家に電話をしたらお母様が出られて、「あなたはすごくいい声をしているから、結婚式の司会の派遣会社に登録しない?」と言われ、自信は全くなかったのですが、お引き受けしたのです。
―その当時、MCのレッスンをしたことはなかったのですか
笹田:友達の結婚式の司会をするようになってから、「これは無責任なことをしてはいけない」と思い、銀行員をしながら夜間に6カ月間、自由が丘のスクールに通いました。結婚式の司会養成所みたいなもので、週一回通っていました。
イベントのMCとしても活躍中
■タワーマンション内で「手書きメモ」作戦を展開
―出産を機に香港上海銀行は辞められましたね
笹田:子どもが切迫流産だったので、何かあってはいけないと会社を辞めました。ただ、それではつまらないので、当時、川崎市幸区に住んでいたのですが、幼稚園のPTA副会長をやったり、町内会の子ども会をママさんたちと一緒にやっていました。
―その後、武蔵小杉のタワーマンションに引っ越されるのですか
笹田:その間に大阪に主人ともども家族で引っ越して、5年間過ごしました。その後、横浜市泉区に2年間住み、娘たちの私立中学進学のターニングポイントがあったので、武蔵小杉のタワーマンションに移りました。
―タワーマンション内で、「手書きメモ作戦」をされたそうですね
笹田:まず、主人が理事会の理事に、私はコミュニティ委員会の委員になりました。いわゆるマンションの中の人たちとイベントを開催してコミュニティをつくりましょうという委員会です。なぜかというと、娘たち二人は私立の中学に進んだので、地域のママ友というのが、わたしにはいなかったからです。ママ友がいないので、友達を作るとしたら、自分でつくるしかないなと思ったのです。
そこで、いろんな人に「ウチで飲みませんか?」と声をかけて、飲み仲間ができたんです。そうしているうちに、東日本大震災の頃に「同じフロアにどんな人がいるのか知りたいね」と主人と話をして、私は便せんに「いついつにホームパーティをするので、ぜひいらしてください。出入り自由です」と書いて、同じフロアの11世帯にポスティングをしました。
そうしたら、当日はお子さんを連れてきてくださった方もいました。それが楽しくて、コミュニティ委員会でフロア会をやらない?という話になって、「じゃぁ、コミュニティ委員が率先してフロア会の進行役をやらせてもらって、やろうよ」ということになりました。
「手書きメモ作戦」でコミュニティづくりの第1歩を踏み出す
■「縦の長屋」の関係作りを構築
また、横のつながりだけではなく、私はコミュニティ委員会や理事会で仲良くなった方々で、違うフロアの方にも親しい飲み仲間ができました。その中で「笹田家に来ると、長屋みたいですよね」という方がいらっしゃり、主人が「そうですね。長屋って普通、横長の関係だけど、ここは縦の関係ですね」と言って、それからは、仲間うちでは「縦の長屋」と呼んでいます。
実際、LINEで「ご飯作ろうと思ったら、マヨネーズが足りなくなってしまって、大さじいっぱい貸してくれない?」と頼むと、「ストックが1本あるから、買い取ってくれない?」などといった会話ができたり、「トマト1個欲しいんだけど…」など、ご飯を作る際に融通しあったりもしています。
■かわさきFMのパーソナリティとして起用される
―一方で、2016年にかわさきFMのパーソナリティになられましたが、きっかけは
笹田:きっかけは、今は一般社団法人で、当時はNPO法人だった小杉駅周辺エリアマネジメント(以下、エリマネ)が、「コスギフェスタ」といって「武蔵小杉を子どもたちのふるさとに」ということで、イベントを開催していたのですが、第1回目から司会をやらせてもらっていました。
そのエリマネが事業の一つとして、武蔵小杉が情報発信するラジオ番組を作りたいということで、「どうせなら、武蔵小杉に住んでいる人がパーソナリティになるのが良くない?」ということで、お声がけをいただきました。今まではイベントで人の顔をみて、話すことしかなかったけれど、ラジオは声だけになってしまうけれど、声のトーンとか早さなどで思いを伝えることが面白いと思ったので、お引き受けしました。
リスナーの元気がでる番組作りを心がけている
―パーソナリティとして心がけていることはありますか
笹田:番組のコンセプトは「川崎市内で頑張る人を応援したい!」ということなので、川崎市にゆかりのある人をゲストにお呼びしていますが、「こういう人がいっぱいいて頑張っているんだよ。有名人だけが頑張っているわけではないよ」と、聴いている方たちが、「頑張っているのは、自分だけじゃないんだ」と元気になってくれればいいと思っています。
また、ゲストの方が気持ちよく話してくれるように、どんなことを聞いてほしいか、事前に打ち合わせはして、質問をするのですが、その質疑応答通りではつまらないので、私がやりたいのは、その方の表情を見て、答えの内容を聞きながら、台本になくてもあえて「この人は、こういう人なのかな」と訊いて、その方が話していて楽しくなるような質問にしたいなとは思っています。
―今後の抱負をお持ちですか
笹田:ある方に10年ほど前、「笹田さんの活動を他のタワーマンションでもやってくれませんか」と言われたことがありました。ですから、今後は、いろんなマンションの方たちのコミュニティづくりをやっていけば、マンション同士のコミュニティもできて、武蔵小杉を活気のある街にできるのではないかと思っています。その手助け的な人間になれたらいいなと思っています。
―読者へのメッセージをお願いします
笹田:自分から率先して挨拶をしてみたらどうでしょうか。挨拶を通じて、人と人が近づいて、コミュニケーションがとれるタイミングができるかもしれません。LINEとかメッセンジャーでも良いのですが、フェイスツーフェイスでリアルに挨拶を交わしていれば、コミュニケーションが密になり、心豊かな街になると思います。
笹田 恵子さん
フリーアナウンサー、ラジオDJ、イベントMC。武蔵小杉在住。コスギに欠かせない司会として、様々なイベントのステージに立つ。武蔵小杉・川崎市の情報を発信するかわさきFMのラジオ番組「かわさきショウタイム コスギスイッチON!」のパーソナリティも務めている。
笹田恵子さんとの出会いの場:川崎市中原区100人カイギ
現代社会は、地縁、血縁、社縁(職場の縁)が希薄になり、個々人がバラバラに分断され、多くの人が孤立するようになりました。そんな社会を修復するにはどうすればいいか。その一つの解が、新たなコミュニティを創造することだと思っています。